子どもの権利条約ながさきネット『いじめ自殺はなぜ防げなかったのか -長崎の事例を考える-』に参加してきました。
アニです。
子どもの権利条約ながさきネット主催『いじめ自殺はなぜ防げなかったのか -長崎の事例を考える-』に参加してきました。
“長崎の事例”に関してはご存知の方も多いでしょうが、ひとまず少し解説をさせていただきます。
2014年に長崎でおきた事例について
2014年1月、町立奈良尾中学校3年生の松竹景虎くん(当時15歳)が自殺した問題。
新上五島町が設置した第三者委員会の報告書では、いじめが主因と認定し、いじめを見逃し、景虎くんの死後も事実究明を尽くさなかった学校や教育委員会を厳しく批難した。
当初、町側は「第三者委員会の見解を最大限尊重する」としたが、その後「報告の内容全てを認めることはできない」と表明したため、遺族側(景虎くんのご両親)が提訴している。
今回の講演会はこの松竹景虎くんが自殺した問題に関する、現状の課題や事件の本質な原因などについて広木克行さん(神戸大学名誉教授)が講演されました。
大まかですが、アニなりに少しまとめてみました。
公平中立に問題へ対応する組織の必要性
いじめなどの重大事案を調査する組織としてはいわゆる『第3者委員会』があります。事実を認定する組織ですので、本来極めて中立性を要求される立場です。しかし、いじめ事案による『第3者委員会』の設置は教育委員会が行うケースが多いです。
つまり、場合によってはいじめを見逃していた学校を擁護する立場になる教育委員会自ら『第3者委員会』を組織することになります。これでは中立性を守ることはできません。
2011年に発生した『大津市中2いじめ自殺事件』では、当初学校と教育委員会は被害者の同級生など子どもに対するアンケートの結果開示を拒否し、いじめと認定しませんでした。「学校側に問題はない」とし、「家庭環境も自殺の原因となった」との主張がなされました。
教育委員会による『第3者委員会』が設置されましたが、機能しませんでした。
この学校と教育委員会の対応は大きな反発を生み、後日態度が軟化したものの、「いじめも一つの問題であった」「子どもの証言では加害者を特定できない」としました。
そこで当時の大津市長は問題の大きさを鑑みて、市長が直轄する『第3者委員会』を設けました。
調査の結果、自殺の直接の原因は同級生らによるいじめであると結論付け、また大津市教育委員会やいじめ側の家族らが主張した「家庭環境も自殺の原因となった」という点ついては「自死の要因と認められなかった」と否定されました。
このように誰が『第3者委員会』を設立したかによって調査結果は異なってきます。どちらが正しかったかは自明の理であると思いますが。
長崎の事例でも大津市の事案と同様に、新上五島町町長が直轄の『第3者委員会』を設置しました。
『第3者委員会』の報告書(新上五島町のHPで公開されていましたが、現在は非公開になっています)は、非常に心苦しい内容ですが、事実を解明し、建設的な意見が盛り込まれたものとなっています。
広木さんはこの報告書にある「(問題に対処する)公平中立な常設の専門家が必要」という点に注目されて、非常に重要であると指摘されています。
具体的な実例として兵庫県川西市の『子どもの人権オンブズパーソン』を挙げています。
先生に子どもたちの声が届かない
長崎の事例の場合、松竹景虎くんは“空気”という作文を書いています。当時の教頭へも相談していたようです。いじめを受けている現状について、自らの言葉で訴えかけていました。
一部の同級生たちも、先生へ行き過ぎた行為を訴えていたようです。
しかし、景虎くんの声も、同級生たちの声も先生には届かず、生徒たちは声を上げることを次第にやめてしまったとのことでした。
2015年に発生した『岩手中2いじめ自殺事件』では、いじめを受け自殺した生徒と担任教諭による連絡ノートでのやり取りで、「いじめを受けている」「死にたい」などハッキリとした相談がされていました。
しかし残念ながら担任教諭は「明日は元気でね」という、的外れな回答をしています。
なぜ子どもたちの声が先生たちへ届かないのか?
広木さんは学校の先生の過酷な労働環境と『いじめ防止対策推進法』のある項目に問題があると指摘されています。
ある調査によると学校の先生の労働時間は週で60時間程度が多いと言われています。過労死ライン(月残業80時間以上)を上回る数字です。
理由は学校の先生の業務の多さ。授業から部活、その他事務作業など多岐に渡ります。
そして『いじめ防止対策推進法』の第4条の条文「児童等は、いじめを行ってはならない。」とある点。
条文で「いじめの禁止」を設定すると仮にいじめが発生した場合、「いじめがあるクラスの担任および学校には指導力がない」ということになります。
いじめが発生した時点で評価を下げることになります。であれば「いじめはなかった」とする方が評価が下がりません。つまり、いじめ隠ぺいの温床になっている。
ただでさえ近年は生徒の成績・学力を重視する風潮です。
評価を気にしなければならない先生たちは「いじめがあったから適切に対応する」より「いじめなど最初からなかった」とする方が評価が下がらなくて済むわけです。
以上のような環境がいじめの発見を遅らせ、最悪の場合、いじめを隠ぺいすることにつながっていると指摘されています。
広木さんは新上五島町の『第3者委員会』が提出した報告書にある「いじめ見逃しゼロを目標とする」ことこそ重要だと仰られていました。
もちろん、広木さんはこの他にも様々なお話をされました。大変考えさせられる講演会でした。
この投稿を書いている今日も「北九州 女子高校生が自殺 いじめあったか調査へ」というニュースが報道されています。「LINEによるいじめ」だと調査されているようです。
これはアニ個人の意見ですが、いじめは決してなくならない問題だと考えています。
何故なら人間は他者と関わりながら生きるしかない、社会で生きることを前提とした動物だからです。
いじめの理由は様々あるでしょうが、いじめは社会の中にしか存在しない現象です。
学校に限らず、会社でも、バイト先でも、地域のコミュニティの中でも、ありとあらゆる社会的な集団の中でなら、大なり小なりいじめは確実に存在します。
本当に残念なことですが、多くの人間は聖人ではなく、一人で集団に立ち向かうほど勇気がないこともあります。
図らずも、負い目に感じつつも、いじめに遭遇し傍観することもあるでしょう。
もしかしたら、心の弱さから、いじめそのものに加担せざるを得ないこともあるかもしれません。
人間のどうしようもない部分だと思います。ですが、悔い改めることができるのも人間ではないかと思います。
いじめの問題で重要なのは、いじめという現象・存在があることを認識しつつ、それを許さず、適切に対処することだと思います。
特に、命を削るほどの耐え難いいじめに対してどう対処するか。
もし被害者が命を失ってしまったのなら、加害者は一生償うことができなくなります。決して許されることはありません。
被害者も加害者からの償いを受けることができません。何より大事な将来を失ってしまいます。
傍観者は何もできなかった苦しみを抱えることになります。
家族など親しい方は…僕はその気持ちを表現する言葉を持ち合わせていません。
いじめ自殺は多くの悲劇を招きます。これを防ぐにはどうしたらよいか?
皆さんはどう思われますか?
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