アニが思う『不登校・ひきこもり支援に関わる苦手な人』

アニです。

『良い支援者・悪い支援者』というタイトルの投稿を見た方もいるかと思います。前の内容と一緒の部分も半分ぐらいあるんですが、構成などを全面的に作り直し、色々と追加しました。タイトルも変えました。

前の内容は何回か加筆修正したのですが、個人的に納得できる形に持っていけなかったので。

前見た方も、見なかった方も、良かったらご覧ください。

不登校・ひきこもり支援に関わる苦手な人

これはあくまでアニが「この人苦手だな…」と思う支援に関わる人の傾向を列挙したものです。なのであくまで参考程度にお願いします。

とはいえ苦手と思うからにはある程度裏付けされた理由が確実に存在します。今回は相談員・支援者・ボランティアの3つの立場ごとに分けて具体的に指摘しようかなと思います。

相談員の場合

当事者・家族などが支援に関わる際の窓口になるのが相談員です。官民問わず相談機関はありますが、最初がイメージ悪いと悲しいですよね。

ただ、相談は人と人の相性とかでやすいところなので、アニが苦手と思っても、他の人は良いというパターンは相当あります。そこは忘れないでください。

アニの経験や他の人から見聞きしたことに基づいて「ちょっとこんな人には相談したくない」というのをまとめています。

ひたすら質問

こちらの話を聞くようで、ただ自分の知りたいことばかりを質問する人っていますが、こういうの質問ではなく尋問です。

意見の押し付け/説教臭い

基本的にどちらもウンザリするんですが、特に常識論を振りかざす人がいます。

不登校・ひきこもりで悩んでいる人は大抵「自分(たち)は世間から外れているんじゃないか」と不安です。常識や正論でどうしようもなくなったから、相談に来ているのであって、説教を受けるためではありません。口ばっかりの親戚の方が余程マシです。

表面だけのやり取り/興味ない

もちろん大抵の相談員の方はそうじゃないですけど、たまに「望んでない場で仕事している」人がいます。大きい団体ほどそうなりやすいんですが。

そうなると「自分何もわからないから」と怠けている訳ではないけど、熱意が湧きにくいところがあります。どうしても表面的なやり取りしかできないです。

これは相談員側の問題ではなく、団体(人事)の問題なので、相談する側・される側の双方にとって本当に不幸です。

不意打ち

相談に行ってみるといつもと別の人が応対したなんてことはありませんか。事前に言ってもらえれば心の準備ができますが、いきなり知らない人はドキドキします。

人に限らず、時間や場所、シチュエーション(1対1とか複数人とか)の突然の変更は、相談する側にとってけっこう精神的負担になります。

説明不足

これはアニの経験談です。「話があるから」と言われて「何かマズいことでもしたか?」と思って行ってみると、実は現状確認の面談をセッティングされてたということがありました。話長くなるので説明は省略しますが、先方の誤解からアニを相談者として扱っていたようです。

特に相談員をしている人が「話がある」だけじゃ、相手に妙な不安を与えてしまいます。


アニが相談員に対して苦手だなと思う時は主に2つ。「話聞く気ないな」「こっちの都合とか考えてないな」と思った時です。

支援者の場合

ここでいう支援者とは、学習や就労支援、当事者の居場所の運営など、事業として支援に携わっている方を指しています。

アニの場合、長崎だけでなく他県の方とも話す機会があります。アニの経験だけでなく色んな支援者の方から聞いたことを基にしています。アニから見て「ちょっとどうなの?」と疑問に思った、苦手な支援者・支援団体の傾向をまとめました。

勘違いされないために言っておきますが、アニは支援者ではありません。何かと問われると難しいところですが、ちょっと言葉が達者な当事者だと思ってください(笑)

実績を数字でアピール

営利団体(学校など)ではやりがちですが、NPO法人などでは正直やってほしくないアピールです。

実績を数字として成果報告するという方法は、団体と団体の関係、助成金や行政などへの報告書などでは必要です。一定の基準で間違いのない評価をするためです。

しかし、これを支援を受ける利用者に対して行うのは危険だとアニは思います。

仮に「脱ひきこもり率90%以上」「相談件数が数千件」という謳い文句が真実であったとしても、相談や支援が順調に進むとは限りません。むしろ上手くいかなかった時の失望の原因になります。「なぜ自分だけダメだったのか」と。

支援を受ける側にとって重要なのは「自分“だけ”に適した支援」です。他がどんなに上手くいっても、自分に適してなければ意味がありません。

多様性がない

正確に言うと「自分以外の支援の選択肢を持っていない」支援者です。

支援が利用者と上手くマッチングするのは運次第なところがあります。ある人にとって良くても、ある人にとっては悪いこともある。

そうなれば別の支援の選択をするのが当たり前ですが、多様性がない支援者は「他の選択肢」を持っていません。

特に「自分の支援だけが一番」だと自負していると、利用者が離れることを嫌います。「やめたら酷いことになる」と脅してみたりするかもしれません。もしくは他団体の悪口を言ったりなど。いわゆる囲い込みです。

またこういう支援者は他団体との連携も積極的ではありません。自分に利点があるのなら、話は別ですが。

支援者と利用者が親密になり過ぎ

仲が良くなることは悪いことではありません。しかし「親密さ」が「馴れ合い」に変わってしまうと弊害が生まれます。

立場の境界線が曖昧になり、過度に相手に対して要求してしまうことが増えるからです。

支援者の側に馴れ合いが生まれた場合

支援者が利用者に対して馴れ合うと、「支援」「ボランティア活動」と称して過度に活動への参加を求めます。

「あの子だから言うこと聞いてくれるだろう」と、いつまでも“便利使い”します。

この問題の難しいところは、案外と支援者の側に“便利使い”している自覚がないことです。

利用者の側に馴れ合いが生まれた場合

逆に利用者が支援者に対して馴れ合うと、依存心が強まり過度に接触を求めるようになります。

深夜に突然電話があってひたすら「相談」と言う名の愚痴に付き合う。経験ある方もいるのではないでしょうか?

互いに馴れ合うと、共依存状態に陥り易いですし、いつまでも自立できません。「親しき中にも礼儀あり」ですから適度な距離感は必要ですし、これを守るのは支援者の役目です。

失敗したくない⇒融通が利かない

これは利用者にとってより、支援者間で連携を取る際に弊害になりやすいです。

特に大きい団体との連携では「上の意向」というものに左右されます。上位者に理解あるのなら問題ないのですが、理解のない場合だと失敗をしたくないので、何もしないよう部下に指示することも多くあります。また部下も失敗をしたくないので何もしないこともあります。

「失敗をしたくない」とは口が裂けても言えないので、適当な言い訳をします。部下の方にやる気がある場合、板挟み状態になるので、本当にかわいそうで仕方ないです。

アニもルールを破ってまで融通が利かせてほしいとは思いません。ただ失敗したくないのを理由に協力しないのは間違いだと思います。

「ルールを守りながら、最大限の努力をする」のが優れた支援者の条件だと思っています。

自慢話ばっかり

酔っぱらいの自慢話ほどつまらない話はありません。「あれは俺がやった」「昔、あいつの面倒を見た」とか自慢話ばっかりする人がいます。酒が入ると尚更です。

まあこれは支援者に限らず、どんな人でもそうですが。

夢見がちな意識高い系

不登校ひきこもり支援など社会福祉に関わる人は「世の中を良くしよう」と常日頃考えています。それ自体は良いのですが、時に現実からかけ離れた理想ばかりを語る人がいます。

ほとんどの方は「こうなったらいいよね」とは思うのですが、「こうなるためにはどうするか」を考えるのは苦手です。しかし実際に必要なのは後者です。

「こうなったらいいよね」ばかりで、何か訳の分からない意識高い系英語を使う人なんかは、アニは超がつく苦手です。聞いているとマルチ商法の勧誘受けてる気になります。

下手すると本当に詐欺師だったり…。


アニが苦手だなと思う場合は、支援者の言動から「自分のことしか考えてない」「自分をよく見せようとしている」と感じた時です。

ボランティアの場合

不登校ひきこもり支援のほとんどはボランティアの方が支えています。例えば、家族会の多くが法人格を持ってない団体(任意団体)ですし、当然参加者は無報酬です。会費などは団体の運営費に消えていきます。

「自分たちで自分たちのできることをする」ことは本当に尊いことだと思いますが、その熱意が却って仇となることもあります。また熱意の維持は大変です。

アニが色んなところで見聞きして感じた「少し考え直したほうが…」というボランティアをまとめています。

のめり込んで、周囲に迷惑をかけている

ボランティアを熱心にやることは良いことだと思いますが、周囲に迷惑をかけては意味がありません。

自分の生活や家庭を蔑ろにしたり、他のボランティアに自分と同じような熱意や行動を求めたり。

ちなみに過度な熱意は支援者側の馴れ合いを生む原因にもなります。“便利使い”されやすくなりますので注意が必要です。

例えば、家族会に参加している方が、他の参加者の親・子どものことばかりに必死になって、自分の子ども(当事者)のことを顧みなかったり。家族会は自分も他の人も互いに気持ちを言い合って、心を楽にするところですから、本末転倒ですね。

何となくで運営している

最初は熱意もあったのでしょうが、徐々にただ団体を運営しているだけの状態になることがあります。こういった場合、代表など主要な立場の人たちも何となくで選ばれていることが多いです。

団体を運営する知識が無かったり、またその知識を学ぼうともせず、ただ現状維持ということも多々あります。また団体内で、ちょっと意欲のある人がいたら「世代交代」と称して直ぐに頼ろうとするのも悪い癖です。

新しい人が参加しないと嘆く割には、参加者を募るような努力や雰囲気づくりもしません。固定化された人間関係を壊したくないためです。

不登校ひきこもり支援に限らず、団体がダメになっていくパターンとして頻繁に見られます。

プチドクター

家族会などの世話人の立場にある人は、時に相談を受け付けることがあります。そういったことが増える周囲から目上の人と扱われることが多くなったりします。頻繁に講演会や研修を聞くようになって「知った気」になったりもします。

すると自分がさも特別な存在かのような気持ちになって、そのように振舞うことがあります。ある先生は「プチドクター化」と称していました。家族会がダメになるパターンの一つだそうです。

良い世話人の方はこの危険性を熟知しているので、自分の立場を崩さぬよう大切にしています。

もし相談員的立場になりたい場合は、しっかりと知識やキャリア(資格・相談数・活動実績)を積む必要があります。素人が何となくでなれるものではありません。

採算を度外視/無駄遣い

「ちょっと手出しすれば話丸く収まるから」と採算を度外視することはいけません。また会費など収入元にしっかりと説明できる用途以外でお金を使ってはいけません。

ボランティアは事業として支援を行っている団体(NPOなど)より規律が緩いです。ひとたび緩むと収集がつかなくなり、団体がバラバラになるキッカケとなります。

特にお金の規律が緩むと団体全体に波及しかねない問題になります。なので「これには出す。これには出さない」とお金の取り扱いには気をつけ、皆が納得する形で使うのが重要です。

アニも時々「もういっか」と思って、本来もらうべきお金を請求しなかったりするので。自分でも反省しています。あの1万円足らなかったのは痛かったな…今更言えない(涙)


この投稿自体がどちらかというと支援を利用する方や、家族会や当事者の居場所などボランティアに携わるような方向けに作っていますが、この項は「自分も気をつけないとね」という感じ作っています。

アニが苦手だなと思う場合は「自分の立ち位置を忘れている」とボランティアの方から感じ取った時です。

時には苦手という感覚も大事

苦手な人は必ずいるものです。相手が良いことをしていたとしても。

例えば、みなさんにとって、アニがそうかもしれませんし、そうでないかもしれません。

アニ個人の意見ですが、そういった相性の良し悪しを大事にした方が良いと思っています。

でも単に「あいつ苦手だ」と思うのではなく、「何で苦手なのか」を考え言葉にしてみると、意外な発見があると思います。

自分がやっている過ちを、相手が同じようにやっているからかもしれません。

同じようなこと考えていると思っていた相手が、実は別の何かを目指していたとか。

やっぱり理由分からないでも十分だと思います。

「何故苦手なのか」を追求すると、逆に「何故好ましいのか」も分かると思います。そうすることで、今ある良い関係も、これから出会う良い関係も大事にできるんじゃないかと思います。


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