アニが考える『不登校ひきこもり当事者・経験者のための居場所選び』
アニです。
随分と久しぶりの投稿になります。
今回は『不登校ひきこもり当事者・経験者のための居場所選び』について考えてみたいと思います。
アニの個人的な意見ですので、参考までにご覧頂けると幸いです。
そもそも『居場所』とは?
不登校ひきこもり当事者にとっての『居場所』と言われると、一般的にはフリースペース(特に目的を持たず集まっているフリーな場所)、もしくは当事者の自助グループ(当事者・経験者が目的を持って、主体的に活動しているグループ)が思い浮かびます。
この不登校ひきこもり情報たーみなるinながさきでも『当事者グループ』というカテゴリーで取り扱っています。
なのですが、実はアニ自身、これが『居場所』というものを正確に表現したカテゴリーだとは思ってません。
『居場所』と呼ばれる空間に要求される機能としては、以下が考えられます。
- 参加者(当事者・経験者)が安心できる空間
- 継続的に他人と関われる空間
- 心の余裕を取り戻せる空間
以上3つが担保されたもので、当事者にとって社会に関わるステップ、経験者にとってセーフティーネット(避難場所)として機能すれば、『居場所』と言えるものになると思います。
目的を持たない場であってもかまいませんし、逆に何かしら目的がある場でも良い訳です。利用する場の有償無償問いません。また仕事であっても良い。勉強をする場でも良い。相談など支援的機能が付随していても問題はない。
つまり、当事者グループだけでなく、就労支援、学習支援、相談窓口、学校、職場、ネット上の繋がり(チャット、オンラインゲームなど)であっても、およそ当事者・経験者が関われる場で、3つの条件が満たされていれば『居場所』機能は果たせる訳です。
すべてに対応できる『居場所』はない
一人で社会に参加するのは難しい。一足飛びには行きません。そのステップの一つとして『居場所』は欠かせないでしょう。
ただ当事者・経験者のニーズは多岐に渡ります。
例えば、居場所に限らず、家族会、支援団体など「困っているのであれば誰でもウェルカム」というスタンスの団体があります。
全ての困っている人の事情に合わせて、対応し、救い上げることが出来るのであれば、問題ないかと思います。しかし、実際はそうではない。
人に得手不得手があるように、団体にも、支援にも限界はあります。
「誰でも」という点に期待して来た当事者・経験者が、「自分の事情に対応できない」団体であると察した時、その団体、更には支援や『居場所』というもの全体に対して失望します。
その失望は『居場所』として機能しなかったことの証です。
『居場所』を形成する側は「何が可能で、何が不可能なのか」「どんな人に来て欲しいのか」を明快に提示する責任があります。
選ぶ側の当事者・経験者としては「誰でも大丈夫」という文言には注意が必要だと思います。
『居場所』選びの心構え
今『居場所』に参加している当事者・経験者の方のほとんどは、誰かからの紹介で参加するようになったのではないでしょうか。
「とりあえず行ってみよう」
それ自体は間違ったことではありませんが、今のあなたにとって本当に必要な『居場所』かどうかは、人それぞれに実感があるかと思います。
自分に適した『居場所』を選ぶためには、まず自分が何を求めているかを考えてください。その上で『居場所』を選んで欲しいです。
例えば、話し相手は欲しいけど、何か責任のようなものは持ちたくないという人はフリースペースのような無目的な『居場所』が良いでしょう。
何かするという目的や意義が欲しいという人は、ボランティアや中間就労のような場を提供してくれる『居場所』が適しています。
就学や就労など何かを目指すという人は、就学・就労支援に関わりながら、その中で『居場所』的な側面を求めるのが良いかと思います。
ただ忘れてはならないのは、『居場所』が自分の欲求に全て応えられる訳ではない点です。
不足している点は他で補うことを考える方が建設的です。複数の『居場所』に行くことは間違いではありません。
もし「何もしてくれない!」と不満が多いのなら、それは「自身に合っていない居場所」ということです。行かない方が賢明です。
『居場所』はいずれ去るもの
『居場所』に参加していると、物足らなさから「もう行かなくてもいいかな」と思うことがあります。自然と参加頻度が減ってくるかと思います。
これは参加者の心や状況が変化し、『居場所』が必要でなくなったということです。
自分自身の中に、別の欲求が生まれて、次の『居場所』へ行くべき時が来た。もしくは『居場所』というもの自体が不要となったのでしょう。
もちろん例外はありますが、参加者にとって『居場所』が必要とされなくなることは、喜ばしいことだと言えます。自身に何かしらの変化があった結果だからです。
逆に言えば中々参加者が去らない、参加頻度が減らない『居場所』というものは、参加者にとって影響を与えるような『居場所』ではない。少し見直す必要があると思います。
参加者自身が『居場所』を大切にする
『居場所』というものは、当事者・経験者が集う場です。
世話人や支援者の方が関わっていることが多いですが、基本は当事者・経験者が作り上げる場所です。
サービスを受ける場ではありません。
参加者自身がより良い『居場所』を作り上げるという気持ちも大切です。何が良くて、何が悪いのか、どうしたら良いのかを考えないと、いずれ『居場所』は望んだものではなくなるでしょう。
もちろん、心の余裕がない時は自分を大切にして欲しいですが、少し心の余裕がある時は『居場所』のことを考えてみてください。
例えば、人の輪の中に入りたくても入れないような子に声を掛けてみるとか。
『居場所』作りを志す人へ
『不登校ひきこもり当事者・経験者のための居場所選び』に関しては以上です。ここからは余談みたいなものです。
アニは最近『親の会たんぽぽ』が取り組んでいる事業に参加しています。
とある団体が行っている資料発送のアルバイトを、仕事をしたい当事者が担うというものです。『親の会たんぽぽ』の古豊慶彦さんが世話人的な役割をしていて、アニはちょっとばかり手伝っている感じです。
ここに来ているアルバイトのほとんどが、フリースペースのような居場所には来ない人たちです。おそらく仕事という目的があることが、この『居場所』に来る動機になっているのだと思います。何かしらやっている実感があるのだと。
長崎で『居場所』と言えばどうしても、フリースペースのような無目的なものになります。もしくは就学・就労支援の中に付随して『居場所』的機能があるもの。
行政だけでなく、民間の支援団体でもその傾向が強いと感じています。数はあるけど画一的。
ですので、今やってる事業のような、アルバイトが『居場所』的機能を果たすのも悪くないかなと最近感じています。もっと『居場所』は多様であって良いです。
今後、何かしらの『居場所』を設けようと考えている人、または今『居場所』を運営している人は、既存の『居場所』ではない、多様な『居場所』を作って欲しいと思います。
例えば『NPO法人パノラマ』さんの『ぴっかりカフェ』は凄い取り組みでした。あのくらい思い切ったことが出来れば面白いですね。
『居場所』の多様性が増せば、当事者の選択肢も増えます。選択肢が増えるという事は、合わない『居場所』があったとしても、別の『居場所』を見出すことが出来ます。
これは『居場所』だけでなく、不登校ひきこもり支援全般に言えることだと思います。
多様な文化が溢れる町である長崎で、多様性がないのは寂しいですから。
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