アニが考える『当事者と支援がつながるまで ~~』前編
アニです。知人の紹介で見たブログで『夏休み明けの子どもの自殺防止の取り組みに抱く懸念』と題して、興味深い問題提起がされていました。
今回はそれについて、アニなりに分析し『当事者と支援がつながるまで』を考えてみたいと思います。
テーマ的に支援者向きの内容となります。
当事者の方、家族の方などはあんまり興味ないかもしれません。ごめんなさい。
ちなみにこのブログは前・中・後編の前編です。他はこちらです。
自殺防止の取り組みで懸念される「3つの危険」
ブログの作者は全国で行われている『夏休み明けの子どもの自殺防止の取り組み』(長崎県でも『9月1日自殺防止の取り組み』として各団体が行っていました)に関して、熱心で善意な取り組みであるとしつつ、以下の3点に関して“危険”があると指摘しています。
- 子どもたちに情報が伝わっていない。
- 相談機関など、学校以外の居場所に信頼感がない。子どもたちが自分たちの想いを伝える方法が分からない。
- 意思表示した子どもたちを適切な支援へつなげることができない。
こういった“危険”を支援する側が認識しているか。そこに懸念を持っているそうです。
「子どもたちに情報が伝わっていない」を具体的に考えてみる
『夏休み明けの子どもの自殺防止の取り組み』の取り組みは比較的メディアなどで取り上げられていました。目にした方も多いと思います。
一見すると「情報が伝わらない」ことは考え難いです。しかし今苦しみを抱いている当事者の立場になって考えてみると、情報が伝わること自体、容易なことでないことが分かります。
それはなぜか?
1:メディアの種類
メディアと言っても多種多様です。テレビ、ラジオ、インターネット、新聞、雑誌、チラシ・ポスターなど。
それぞれに特徴があって、伝えることができる範囲、情報量が違ってきます。
テレビの場合
不特定多数の人々へ伝えるには最も効果的なものです。映像があるので、ビジュアルに訴えることも可能です。
ただし、ニュースに取り上げられるとしても、時間はとても少ないです。
つまり情報量が少ないので、イメージ先行で判断材料に乏しいのが弱点です。
新聞・雑誌の場合
これも不特定多数の人々に伝えるには効果的です。写真などによるビジュアル的効果も狙えます。
情報量は記事の分量次第ですが、テレビに比べれば多いと言えるでしょう。
ただ新聞・雑誌は買わないと閲覧できない。この点が一つのハードルとなります。
ラジオの場合
最近、若者がラジオを聴くこと自体減っていることは事実です。ラジオに慣れ親しんだ世代の方じゃないと、ラジオを聴くことは少ないのではないでしょうか?
ラジオを持っていること、聴きたい番組の電波を受け取れる場所にいること、ラジオを聴く気持ちがあること。
ラジオでの情報発信対象は不特定多数ですが、範囲は意外と狭いことが分かります。
チラシ・ポスターの場合
チラシ・ポスターで情報を得るためには、チラシを設置している場所、ポスターを展示している場所に行き閲覧する必要があります。
また自殺防止の取り組みのチラシを、やたらにポスティングする訳にはいきません。チラシ配布を行うのは関心のある団体に限られます。
情報量も紙一面に掲載できる範囲ですが、手元に残りやすいことが利点です。
インターネットの場合
インターネット接続可能な環境であれば、情報を得ることが容易なツールです。時と場所を選ばず、情報量も膨大です。
とても万能なメディアと言えますが、当然弱点もあります。
一つに情報量が膨大過ぎること。眉唾な関連情報も多いので、閲覧する側に「正しい情報」を判別する力量が求められます。
二つに検索が必要なこと。検索が必要ということは「検索する気がない」場合は情報を得ることができません。
テレビなどでは「たまたま目にした」ことで情報を得ることができますが、インターネットの場合、こういった偶然は期待できません。
口伝え
人から人へ直接伝えることは最も信頼性のある情報発信の方法です。個人レベルまで誰に何を伝えるかを決めることができます。
しかし当然ですが、一回で伝えられる人数は限られます。
人が多く集まるところで告知をするとしても、そのような機会は数少ないです。
取り組みを広報する側が、メディアの特徴をしっかりと分かっていないと、伝わるものも伝わらないことが多いです。
2:当事者が情報を求めていないこともある
例えば本気で自殺を考えているような子どもが『自殺防止の取り組み』によるメッセージや情報を素直に受け取るでしょうか?
「救われたい」という想いがある一方で、「でも救われない」という絶望がある。それが当事者の気持ちだと思います。少なくともアニはそんな感じでした。
「救われたい」という気持ちが強いと「誰か救ってくれる人はいないか?」と情報を集めたり、何気ないことにも注意が向くようになります。
「でも救われない」という気持ちが強いと「どうせダメだ…」と諦めて、情報を集めることはしません。
むしろ「自殺」「不登校」「仕事」といった、現状を実感し連想してしまう関連キーワードを意図的に避けるようになります。
また心理的余裕がないことも多いですから、専門家・経験者からのメッセージに対してネガティブな心象を持つことも多々あります。
つまり良かれと思って発信したメッセージ自体が、心理的プレッシャーになることもあるということです。
3:当事者が利用できる支援がない
『自殺防止の取り組み』を例にしてみましょう。
「誰かに悩みを話したい」と思っている当事者にとって、相談窓口は適した支援です。
しかし深夜遅く話したい時、相談窓口が対応していない場合はどうしようもありません。
「学校に行きたくない。家も居心地が悪い」という当事者にとって、逃げ場所としてのフリースペースはありがたい存在です。
ですが「一人で誰も知らない場所へ行く」ことは凄まじいプレッシャーとなります。行くか行かないか悩みは尽きないでしょう。
「経験者や専門家からのメッセージを聞いてみたい」と考えている当事者にとって、メディアでの発信は興味深いことです。
でも発信を受け取れるような環境になければ、聞くことはできません。
支援の側に当事者への配慮がないと、このようなことは起きやすいと思います。
情報発信ってするべき?しないべき?
今までの文章を見ると「しないほうがいいんじゃ…」と考えてしまうと思います。
それでも「何かした方が良いんじゃないか」と考える人もいると思います。
「当事者を傷つける可能性があるかもしれないけど、当事者の悩みを解決する可能性があるのならやる」
「当事者を傷つけるかもしれないなら、いっそ何もしない方が良い」
どちらを選ぶかはその人次第だと思います。
情報発信の適した方法
これはアニの個人的見解、そして市民活動に詳しいアニの知人から教えられたことをまとめたものです。
情報発信では「誰に、何を、どのように」伝えるかが重要となります。
まず「何を」伝えるかを考えます。
絶対に伝えたいメッセージ、情報の概要、利用者への配慮・工夫など、これらを全て簡潔にまとめます。ひとまず箇条書き程度にしておくことをオススメします。
次に「誰に」を考えます。「誰に」次第でメディアを使い分けます。
大抵の場合、メディア一つで「誰に」を網羅することはできませんから、適したメディアを複数用いることがオススメです。
例えば、比較的関心のある人たち向けなら団体伝手のチラシ配布。不特定多数へ大々的に発信したいならテレビ。当事者など比較的若い層ならインターネット。家族などであれば信頼性の高い新聞や口伝。
次に「どのように」伝えるかを考えます。
分かりやすくビジュアル化、ワンフレーズによる一目でわかる表現、簡潔な表現などの技術的配慮は重要です。
特に不登校・ひきこもりなど、教育・福祉の分野に属する支援者の方は伝えたい想いが多すぎて、文字が非常に多くなって分かり難くなりやすいです。結果、想いが伝わりません。
また見る相手に心理的プレッシャーを与えない表現にするなど、心理的配慮も考える必要があります。
『自殺防止の取り組み』など、人の心に比重が大きい時は尚更です。同じ内容でも、違う表現を用いることによって心象が大きく変化することは良くあることです。
アニは偉そうに言っていますが、実践はとても難しいことです。アニも思った通りになったことはありません。
試行錯誤、関係のない人(第三者)に相談するなど、いろいろ試みてください。直感に頼るのもそんなに悪い方法ではありません。
情報は間接的に伝わることがある
伝える側は直接「誰か」に伝えたいと考えてしまうものです。
しかし実際には「知人が言っていたから」など噂話から知ることは多いです。
つまり伝えたい「誰か」のそばにいる人へ伝えることの方が、実際的で有効です。
不登校・ひきこもり当事者の場合、意図的に情報遮断していることが多いですから、直接伝えることは難しいです。
そこで家族など、間接的に情報が伝わる可能性を考慮した方法が重要となってきます。
もし当事者が気まぐれで質問して来た時、「ごめん。わからない」と答える場合と、「~みたいな話を聞いた」と答えるのとでは雲泥の差があります。
『自殺防止の取り組み』であれば、悩んでいる子どもの目に付きやすい場所に情報があることが最善でしょう。
夏休み前の学校、比較的遊びに行きやすい場所(コンビニやゲームセンターなど)、偶然目に付きやすいテレビ、匿名で調べられるインターネットなどでしょうか。
情報を伝えることに向いている人/向いていない人
実際、情報を伝える努力が徒労に終わることは頻繁にあることです。
しかし“10”の努力をしたのならば、“9”が徒労に終わったとしても、“1”が伝わることはあり得ます。
情報を伝えることはこの“1”に意義を見出すか否かです。
「しょせん“1”に過ぎない」と考えてしまう方は止めた方が良いと思います。もっと別の何かを考える方が良いですし、なにより心に負担が少ないです。
不登校・ひきこもりなどの支援に携わりたいと思っている方に必要なのは「心の余裕」です。余裕のない人は、いずれ当事者の心の苦しみに押し潰されてしまいます。
「心の余裕」を保つ努力をすることは大変重要なことです。
「たかが“1”であったとしても」と思える人は、情報を伝えることを継続してみることをオススメします。
本当に稀にですが、その“1”に出会える瞬間があります。
これは向き不向きの問題です。無理をしないで済む方を選んでください。
今回はこれまでです。ご覧になった皆さん、長々と付きあって頂きありがとうございました。
このブログは前・中・後編の前編です。他が気になる人は下記からどうぞ
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