今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

アニです。みなさん今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

いつもは年が明けてご挨拶していますが、実はアニ、今は喪中です。

アニの母方の祖母が今年8月に亡くなりました。98歳だったので、大往生って感じなのですが。

せっかくなので、その祖母が、不登校・ひきこもりのアニにどう接していたか話をしたいと思います。

祖母はとても苦労した人でした。

アニは祖父の顔を知りません。早くに亡くなったからです。

祖母は1人で稼業のミカン農家を引継ぎ、アニの母や伯母たちを学校にやりました。正直、経済的には苦しかったと思います。

(アニの母も自分で稼ぎながら学校に行くなど苦労してます)

子どもたちが自立した後も、1人でミカン農家を続けました。時々、子どもたちや佐賀の親戚が手伝いに来たりしてましたが。

アニもミカン収穫の手伝いを父と一緒にやったりしてましたね。アニはミカン収穫がけっこう得意です(笑)

そういった苦労もあってか、そもそもの性格なのか、アニの祖母は優しい人でした。そしてちょっと心配性でした。

アニが不登校・ひきこもりの頃、祖母は何も言いませんでした。

「学校行かんと?」「将来どうすんの?」

そういうの一切言いませんでした。流石に自分の娘(アニ母)には多少言ってたみたいですけど。少なくともアニに直接は言いませんでした。

ただ、アニが日々どうしてるか気にしているだけです。

祖母の中で、アニは何故かカツ丼が好きなことになっており(まあ嫌いじゃないですけど)、アニが母の実家に帰る時は用意してくれてました。

用意できない時は帰り際に500円を渡して「これでカツ丼食べて」と言うような感じで、アニは最後の最後まで「カツ丼めちゃくちゃ好きって訳じゃないよ」と言えませんでした(笑)

アニは基本、親戚の類が苦手で会いたくないのですが、祖母は数少ない会っても大丈夫な親戚でした。

祖母は体力的にミカン農家を続けられなくなった後、長年の苦労が祟ったのか足を悪くして、介護施設に入り、最後の10年ぐらいは寝たきりでした。

アニは悪い孫なので、お盆と正月ぐらいしか会いに行かなかったのですが、祖母は「元気しとるね?」としか言いませんでした。

アニの父が亡くなった時、「姉弟仲良くお母さんを支えんといかんよ」と何度も言われましたが、連れ合いを早く亡くした自分と母を重ねて心配で言ったのでしょう。

祖母からしつこく何かを言われたのはそれくらいです。

お節介をしようとする訳でもなく、陰で色々と言っている訳でもなく、全く関心がない訳でもなく。

祖母はアニにそういう接し方をしていました。今思うと距離感に配慮してくれてたのだと思います。

当事者が身近にいると、ついつい「助けてやろう!」とか思っちゃいますが、その気持ちが却って当事者を追い詰めることもあります。

むしろ立場に応じて適切な距離感に配慮する方が、当事者の心の安定につながることも多いのではと思います。当事者が「こうして欲しい」と意思を表明した時、はじめて手助けするタイミングなのではと。

これは推測ですけど、祖母は多分、自分がアニを助けられる力を持っていないと考えていたのだと思います。だからせめて、傷つけないようにしようとしてくれていたと思っています。


不登校・ひきこもりの当事者にどう接して良いかわからないという人多いと思います。

正解ってのは正直ないと思いますが、自分なりの答えはあるかと思います。

この不登校・ひきこもり情報たーみなるが、少しでもその答えを見出す手助けになればと思っています。

今後もよろしくお願いします。


この投稿へのコメント

コメントはありません。

コメントを入力するためにはログインが必要です。