『当事者・経験者が語る ~外に出てもゴールじゃない~』に参加してきました!

アニです。ちょっと時間経ってますけど、8月4日に『ひきこもり家族会「花たば」』の主催イベント『当事者・経験者が語る ~外に出てもゴールじゃない~』に参加してきました。

今回のイベントはアニも参加している『不登校・ひきこもり情報誌「今日も私は生きてます。」』のメンバーである古豊慶彦(よちぴこ)をコーディネーターとして、情報誌に参加している水素化かりゅーむ・とらねこの2名の体験談などを中心としたミニシンポジウム的イベントでした。

この2人とは情報誌が始まってから頻繁に付き合うようになりましたが、意外と当事者体験とか詳しく聞いたことなかったので、案外と新鮮な気持ちで話を聞いていました。

特に印象に残った話を紹介したいと思います。

母親への複雑な感情「甘えたいけど、甘えたくない」

水素化かりゅーむが体験談で話してくれたことです。

お母さんが色々とやってくれるのは”心地よい”気持ちなんだけど…それに唯々諾々と甘えてしまっている自分に嫌悪感を抱く、頼らないようにどうにかしたいと思ってしまう。

母親から叱咤激励(つまり頑張るように距離を置かれてる)されても抵抗感・受け入れられない気持ちになる。かと言って「あなたの気持ちわかる」と気持ちを理解されても、「それはちょっと違う」という奇妙な気分、困った感じになる。

皆さんはこういう矛盾した気持ちありませんか?

実はアニも無くはない気持ちです。ここからはアニの場合の話です。

依怙贔屓もあるでしょうが、アニの母はとても優しい人です。

アニが不登校・ひきこもりになった時も「学校に行け」や「早く仕事しろ」なんて言いませんでした(それでもアニとは色々ありましたけど)

不登校・ひきこもりをしているのは「後ろめたい」ことです。そこに母親の無条件の愛情を見せつけられると、罪悪感に近い気持ちを抱きました。あと逃げ場のない気持ちもありました。

優しさに甘えると「もう自立できないダメな自分になるんじゃないか?」と怖くなりましたけど、甘えなければ「正直、生きていけない」のも偽らざる気持ちです。

水素化かりゅーむとアニは不登校・ひきこもりになった経緯も家族の状況も全く違います。それでも話を聞いている内に、自分のどうしようもない頃の気持ちを思い出しました。

「甘えたいけど、甘えたくない」という感情は共通したものなのかもしれません。

必死なトリ心のエネルギーの使い方

これは参加者の方からの質問でした。

生きていくこと、特に社会に何らかの参加をしようとすることはとても「心のエネルギー」を使うことです。

不登校・ひきこもり当事者全般に言えることでしょうが、「心のエネルギーの使い方」は最大の課題です。生きる知恵そのものと言っても過言ではないでしょう。

水素化かりゅーむの場合

まだまだ心の葛藤があり、その葛藤から生まれる心の傷を癒すことを最優先し、残りのエネルギーを外に向けているそうです。

外へのエネルギーは外出などだけではなく、話せる人(居場所の友人など)に愚痴を言ってストレス発散にも使用します(話すことそれ自体がエネルギーを使う行為です)

それに加えて、省エネする工夫(意図的に話を受け流す努力など)を組み合わせて日々を過ごしているそうです。

とらねこの場合

エネルギー配分が下手なんだそうです。仕事する時エネルギーを使い果たすまで取り組むなど、けっこう今まで失敗を繰り返したそうです。

そこでエネルギーを使わない場所に行く、使う場所へ行かないようにしているそうです。

例えば、最寄りのお店ではなく、わざと遠くのお店を選ぶなど、知り合いに会う可能性が少ない場所を選ぶのだそうです。

あと公共交通機関よりバイクの方がエネルギーを使わないというのは、なるほどなと思いました。

公共交通機関は人と接する機会が多いだけでなく、到着時間など相手の都合に合わせないといけない。バイクだと自分の気分で時間など都合を決められる。

確かに時間などを相手に合わせる行為は、エネルギー消費が多い気がします。

2人の話を聞いていると、本当に「外に出てもゴールじゃない」という実感を感じます。

当事者が語るということ

実は「当事者は語ることができない」という考え方があります。

不登校・ひきこもりを現在進行形で体験している当事者は、直面している問題を言葉にしないというものです。

確かに当事者は、意識・無意識に関わらず不登校・ひきこもりという言葉を避けます。言葉にするということは問題を認識し直視することに他なりません。

つまり話せる話題は過去形になった事実だけということになります。

アニも全く同感です。当事者に語ることはできないと思います。少なくともアニは今だから話せることが大半です。

現在進行形の課題は自分でも把握していないものです。「言葉に出来ない」ことばかりです。

時間的に距離を置くことによって、はじめて「言葉に出来る」のだと思います。

むしろ元当事者、経験者だからこそ語れることは多いのですし、説得力があるのではないかと、アニは思います。

みなさんはどう思いますか?


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